久しぶりの鎌倉です。
今回は、友人 Aneyと 報国寺の竹を見るのが目的です。
報国寺だけは決めておいて、あとは風のふくまま、気のむくまま。
極楽寺から出発して、まずは成就院の紫陽花の具合を見ようということになりました。
成就院の階段上に、おじいちゃんがいて、みんなに声をかけています。
「まだね、見頃じゃないよ。登り口のこの花が一番きれいかな。これ、見といた方がいい」
ご近所に住んでいるのかしら。いらした ! 本日の鎌倉大使 !!
おじいちゃんおススメの紫陽花をパチリと撮って、
階段下を見下ろすと、おっしゃるように沿道の紫陽花はまだ全然です。
長谷方向に下る階段は、まだ広いまま。
紫陽花は咲くと階段までせり出してきて、道幅が狭くなる。
紫陽花はまだだけど、新緑が綺麗です。
オバチャマたち、2人並んで、何見てるのかな?
「大仏」「海岸」って、普通は地名じゃないの? ワイルドな表示ですな。
今の時期、松葉菊が見頃です。海と松葉菊。
Aney も「ビブリア古書堂」見てたというので案内しました。
ここは、第1話で大輔がお母さんに「古本売ってきて」と言われ、
迷い込んだ先でビブリア古書堂を見つけるシーンで使われた路地です。
ドラマ見てない人は、わからない話ですよね。_(._.)_
ビブリア古書店として使われた家がこちらです⤵
『鎌倉彫 わや』というお店。
わやと書いてある部分は、ドラマでは造花で隠されてましたね。
栞子さんが出てきそうな雰囲気のある佇まいに感動。
ここも紹介しておこう!
大助の家 として使われたお家です。
左) あの松、幹の途中でUターンしてる。
右) 不動産屋の看板が見えるけど、入口にはどう行くんだろう。
長谷駅に停留中の電車。うん、いい感じ。
江ノ電の線路を縫うように歩き回ること、1時間。
長谷から鎌倉までの江ノ電沿線は、絵になる景色の多い。
素敵な門構え
この辺は、民家と線路が凄く近い。
自分の家に行くには路地を通ったり。。。。
「立入禁止」と書いてあるけど、やっぱり線路を横断したりもするんじゃないかな。
「お腹が空いたね」
『BITTER SWEET』 ( カフェビタースイート ) は、去年の7月に、Aney と初鎌倉した時にお邪魔した店。
今度は、Aney が20種類の野菜のドリア。ワタシが魚介類のドリアを食べます。
うん、やっぱりウマい。
去年来た時はテーブル席だったけど、今日はカウンター。
カウンターに座った特典は、聡明なお店のお姉さんとお話できたことです。
お姉さんは、私達の会話を何気なく聞いていらしたようで、季節の花の見どころを教えてくれました。
彼女の接客は凄い。
ホントにさりげなくて、会計のタイミングもバッチリ。
帰りをせかすワケでもなく、モタモタお待たせしない絶妙な間合いで会計してくれました。
「美味しかったです」と言ったら、カウンターの下で彼女の腕がシュシュッと動きました。
奥からシェフを呼んだようで、シェフが顔を出されました。
《美味しかった》という言葉は、直接作った人が聞けばもっと嬉しいとわかっている。
シェフを呼ぶ、そのさりげなさも素敵な方でした。
お腹もいっぱい、気分は上々の2人組は鎌倉駅に向かいます。
報国寺は東口方向なのに、西口をウロウロする2人。
確か「鎌倉の3大洋館」のひとつが、この辺にあるらしいので探しているのです。
あった、あった。古我邸 ( 旧荘清次郎邸 )
この洋館は、現在80代の老婦人が1人で住んでいるそうです。
友人に教えて貰ったバラエティー番組での情報。
おばあちゃまの旦那さんは、日本初のカーレーサーでバロン古我こと古我信生氏。
古我さんが亡くなられた後、ひとりで住んでいるらしい。
《ひとりで住んでいる》だなんて、テレビで公開しちゃっていいのかと心配になりましたが、敷地をドッグランとして公開したり、ご近所の方も防犯に目を光らせてくれているみたいです。
※ 現在の所有者は古我容子さんですが、この洋館は三菱合資会社の専務理事、荘清次郎氏の別荘で
した。設計は旧丸ビルを設計した桜井小太郎氏、15年もかけて建てられたんだそうです。
その後、この別荘は政財界のさまざまな方が別荘として使用し、その中には近衛文麿もいた
という記録もあるそうで、1932年には日本建物の経営者、古我貞周氏( バロン古我さんの父 )
が取得し「古我邸」となりました。
Aneyとの鎌倉歩きは《行軍》のようです。
普通の人がバスで行く距離を、ふたりはなにかと理由をつけて歩く。
ふたりとも歩くのが好きなので「バス通りは混んでるから」とか
「バス来るまで、もうひと停留所歩けるよね」とか、そんな感じで結局全部歩いちゃったりする。
15:35 鎌倉にやってきてから4時間も経って、やっと報国寺に到着。
いい感じだ
茶席がありました。
茶席から見る竹林
緑が深すぎて、写真が緑うつりしてしまった。
やぐら - Wikipedia ですかね。
報国寺の到着したのは閉門のギリギリセーフの時間でした。
あっちこっち道草をしたから。
Aneyと私の共通の友人に、とんでもないことを言う人がいます。
「報国寺? 竹のお寺に行くんなら、売店とかあるんだよね。
あのね、素麺食べる時の竹の器あったら買ってきて」
Aney も報国寺は初めてだから「うんうん、任せて」と返事したんだそうな。
きみたち 何を考えとるんだ 寺だよ寺!!!
報国寺は間に合ったけれど、ここは駄目だった。
旧華頂宮邸
名残惜しそうにシャッターを切るAney
行きと帰りを違う道を行くのは、ふたりの暗黙のルール。
実はもうひとつ、Aneyに見せたい所があったんです。
釈迦堂切通し
とうの昔に通行止めになってしまっていたのは知っていますが、
遠目からだけでも見られないかなと思い来てみました。
でもダメ。
随分手前からバリケードが出来ていて、遠目にも見られませんでした。
釈迦堂切通しを私が見たのは高校の時だものな、今から40年以上も昔の話。
「ここから先は僕たちしか入れないんだよ」
いいなあ、君たちは。
ねえ、私たちの代りに見てきて様子教えてよ。
「やーよ、めんどくさい!」
ショックをかくせず、とぼとぼ歩く。
田楽辻子のみちの由来
鎌倉時代に呼ばれた小路で、路名の由来は、路ぞいの釈迦堂前に田楽師が住んでいたためと伝える。
辻子は通りぬけのできる小路のことで、十字道を辻という。
「吾妻鏡」などの田楽にまつわる記事に基づいて現在の道筋をたどると筋替橋
を起点として宝戒寺裏から滑川を渉り、大御堂ヶ谷・釈迦堂ヶ谷の入り口をへて宅間 ヶ谷に出て六浦と合流とする小路と考えられる。
ああ、かなり歩いたな。
もう街灯がともっている。
思いっきり歩いて、流石にクタクタ。
最後に、甘いものを食べて帰ろうと思い『納言しるこ屋』を目指してたけれど、
着いた途端に、氷ののれんが仕舞われてしまいました。
そんじゃホットケーキということで岩田コーヒーを目指したけれど、こちらは定休日。
甘いもの欲しさにさまよって見つけたのが『扉』でした。
へええ、豊島屋は、鳩サプレーだけじゃなく、喫茶もあるんだ。
豊島屋は、社員寮も完備しているそうです。
新宿にあった喫茶滝沢と同様、アルバイト店員を置かず全員が正社員で、
社員教育を徹底していると聞いたことがあります。
『扉』の店員さんも、キビキビしていて綺麗な働きぶりでした。